バルセロナの魅力は美しい教会や建物、美術だけでなく、海と山がとても近いこと。
なかでもアクセスの良い バルセロネータ のビーチは夏になると沢山の人で賑わいます。
ビーチからほど近いバルセロネータ地区には、小さな通りがたくさんあります。
地区の建物は古く、そこにはバルやパン屋、市場、公園などが並び、趣のある場所です。
この地区を歩くと、青と黄色の旗を飾る家が多いことに気づくことでしょう。
一瞬ウクライナの旗?と見間違う、同じトーンのこの旗。
結論から言うと、全くウクライナとは縁もゆかりもないものです。
バルセロナオリンピック
時は20世紀の終わり。
1992年のオリンピック開催地がバルセロナに決まった1980年代後半に遡ります。
オリンピックの開催が決定されると、バルセロナの地区改革が始まりました。
オリンピック港の考案、Pobrenou地区のオリンピック選手村の建設など、バルセロナの海岸地区は完全に生まれ変わったのです。
そうした改革は、古くは漁師たちが住む地区だったバルセロネータにも影響を及ぼしました。
バルセロネータの旗は、オリンピックに伴う地区の変革に抗議するために考案されたものだったのです。
(下の地図の赤線で囲まれたところがバルセロネータ地区)
海の青、砂の黄色。
旗の作者は元漁師であるFrancisco López Teyさん。
当時 バルセロネータに住んでいました。
彼は、オリンピックのために様々なものが撤去され改革されるのを目にして「後にここが漁師たちの地区であることすら忘れられるんじゃないか」そうした懸念が頭をよぎりました。
彼はこの旗を作る以前に、この バルセロネータ 地区の様々な資料や文書を集めて編集し、地区の記録文書を作成しています。
そうしたプロジェクトの成功も、地区のアイデンティティとなる旗の作成へのモチベーションとなったのでしょう。
彼がデザインした旗はとても目をひき、そして地区の雰囲気にうまく馴染んでいます。
海の青。砂の黄色。
中央には盾と、漁師達が使っていた小舟、そしてバルセロネータの灯台。
バルセロナのシンボルであるSant Jordiの旗と、黄色と赤のカタルーニャの旗も並んでいます。
90年代、この旗は地区のフィエスタ(お祭り)や通りではためいていました。
しかしオリンピックの熱狂から、その旗の存在は忘れられてしまいました。
バルセロネータ の旗。
現在、その示すものは。
さて、忘れられていたバルセロネータの旗。
それが現在はためいている意味は何なのでしょうか。
バルセロナの人気は急増し、2010年以降観光客の数が激増しました。
バルセロネータ地区の住宅費は高騰し、観光客のマナーの悪さ、夜のお祭り騒ぎは、地区の住民たちを悩ますようになりました。
そこで地区の住民たちはこの旗を再度押し入れから引っ張り出し、掲げるようになったのです。
つまり現在では、バルセロネータ地区のシンボルであるとともに、このバルセロネータ地区の住民たちが困っている観光客のマナーの悪さに対する抗議の印なのですよ。
実は、この地区に私が通っていた大学の寮がありました。
私はこの地区ではない寮に住んでいたのですが、海も目の前だし1年だったらこっちにすればよかったな、と今は思います。
参考記事:El Periódico https://www.elperiodico.com/es/barcelona/20160117/francisco-lopez-tey-creador-de-la-bandera-de-la-barceloneta-barceloneando-4823393